仮想おぢさん
おはよう!
あの「GT」チャンスからはや3日目。
「おとうさん、ぼくのGT、どこに行ったんでしょうね?覚えてますか?あのぼくが釣ったお気に入りの軍手ですよ。黄色くて、手を振ってた。中にカニが入ってましたよね。ぼくはてっきり魚だと思いましたよ」(角川書店:人間の証明から抜粋)
いろいろな状況を踏まえ、仮想してみた。
気を付けてください。登場する人物、団体等はすべて架空のものであり、フィックションであります。
「拝啓 皆様」
お元気ですか?かわりはないですか?
そろそろ「バルボーの子供」も退院かね?おめでとう。
こんな時、嫁さんが実家に帰る「最後の青春」がやってくるんだが 笑)
結婚後、最後の「羽化」なんだがね、セミなら土から出て最後の1ッ週間なんだがね!
ま、状況にり個人差はあるがな・・・・
「あるおぢさんの前世の記憶」によれば
一週間分の「メシ代」という、経済力を兼ね備え、今後始まる「羽根のない生活」に突入する、最後の「独身貴族」を謳歌する瞬間。「最後の祭り」ととらえてもらってよい。
これが「嫁の里帰り」だ。
これからはなんでも「子供優先」育児に専念し、こちらを軽視するようになる嫁、そして次第にかさんでくる養育費、生活費、自分以外のことに浪費されるすべて…。
家族のため、暴飲暴食、無理、無謀、無茶苦茶、命懸け、恋愛は不可、過去の勲章となる。
何かの試算だと、子供一人二十歳まで育てるのに「フェラーリ1台分」はかかるらしい。
国は少子化対策等、何の対応、保護保障もしてくれず、「己の私利私欲、利権の確保」に走り「クソ政策」と「年金制度」意味の分からねえ「増税」が財布を直撃。
友人と出かけることもままならねえ、旅行なんて絶対無理。
薄れていくプライド「自画自賛」
遠ざかってゆく、楽しかった日々…
「男同士」頼みの息子は大きくなるにつれ「クソ生意気なガキ」と化す。
警察に呼び出され、被害者家族に謝罪することにも慣れ始めた頃、家族のため酷使してきた自慢の肉体がついに悲鳴を上げる。
休みがちになる「ぽんこつおやぢ」に社会や家庭は冷たく、自慢の友人も自分のことで精いっぱい、連絡すら来なくなる。
「ああ、孤独だ…」
それでもせっせと家族のため頑張ってきた「おとうさん」はこう思う。
「家庭も大事だったけど、もっと、自分も大事にすればよかったな」
しかし、一旦「型にはまる」と取り返しはつかない。
急に生活を変えようとしても、何をしていいのかわからない、忘れてしまっているんだ。
迷いながらも、仕事をやめるわけにもいかない。
無理をして周りに合わすよう催促され「ちっぽけなマイホーム」に挑戦してしまったからだ。
過ぎていく毎日… 「何かが足りねえ、なんだろう?こんなもんか、おれの人生は?」
自問自答は25年に及んだ。
いつの間にか二十歳を超えた息子は、自分の家庭、人生を構築し出て行った。
唯一、買ってやれた「グローブ」だけがそこに残った。
暗くなった家で「なんでも鑑定団」で夢を見る日々。
傍らには、ポテチを喰い粗し、ブタのようになったノーブラの嫁が寝ている。
少なくなったおかずに冷や飯、薄い味噌汁でおれの体重はいつの間にか15Kgも減っていた。
鏡を見るたび「カマキリ」を連想するようになった。
やがて、若いころの無理がたたりはじめる。
腰痛、ひざ痛、むち打ち、肝臓、膵臓… 目もかすみ始める、すべての内外装置に異常が見られ、投薬に通院の日々。
そこに痛烈な言葉をかけられる「また?ああ、医療費もこんなにかさんで!大げさなんじゃないの!!?まったく!!ロキソニんでも呑んどきん!!」
痛い身体に、痛いココロ。
自由に動くこともままならず、ひとりリハビリに励む日々。
それでも何とか克服し、心機一転、はじめようとした登山も「周りに迷惑かけるからやめろ」「やるなら海にして、なんかあってもタダだで!」と。
気がつけば頭は禿げており、たまにこずかいをせびりに来る孫にも「これっぽっちじゃ何にもできんわ!くそぢぢい!」と蔑まされる。
場末のスナックのばばあでさえ、「あんた前の分は?はァ?少しはもっとるの?」と聞かれる。
横の客からは、ぼけてもないのに「ぼけ老人の話はほっとけ」の扱いが日常化してきた。
(バカ野郎、なめんな!ああ、どいつもこいつも!何にもしたくねえ、クソッタレが)
荒んでいく心に、片付けもおろそかになる、気がつけば「ゴミ部屋」に居住していた。
結婚後、唯一の発見は「カップ麺って、こんなに旨いんだ」
嫁は飯を作らなくなり、同じカップ麺のみで暮らす。
近所のドラッグストアのバイトに「金ちゃんハゲカップ」と揶揄されるようになり…
そんな日々がどれくらい続いたのだろう…
ある寒い朝、そのゴミの中でひっそりと亡くなっているんだ。
傍らには、昔みんなで行った「海外旅行の写真」がくしゃくしゃになって転がっていた…。
「何もしなくていいです。海にでも流してください」との遺言も無視され、一応の葬儀が準備された。
安い祭壇に、最近の写真がないためか「遺影」がやけに若い。
「おせっかいなMKさん」の知らせで葬儀には、久しぶりのみんなが来てくれ、涙した。
よく見りゃ、おれの家族も泣いてる。
しかし、自分はもういない、ふて腐れていたおれのことをみんなが気にかけていてくれたことなどわからないまま旅立ってしまったんだ。
肉体を離れた「おとうさん」はその時思うんだ。
「 ああ、頑張ってきてよかったな。みんなありがとう、すまんかったな。 」
こんな風にならないように、おまいら「自分を通せ」よ 笑)