DUB-DUB〜とある道端の追憶
おはようございます。
みなさん、今日もアツいですね!
オレが、二日酔いでぶっ倒れておった日曜日。
海ではMKOとOOKとU-SKとセッションがあったらしい。
「ミドルはエライが、出ちゃえばデカいだけ」とMKO談。
そう、奴はOOKに次ぐBIG-WAVEER、そう、ビッグウェーバーなのだ。
KBT、OOK,MKO,MKT。
グラジャガン、そぅ、G-LANDへアタックした「ファイター」だ。
しかも、MKOとMKTはノーヘル、ショートボード、ノーブーツ、ハダカ。
当時「さすがに、死にそうになった」と、うれしそうに言っていた。
その「アホ部隊」に感化され、トレーニングを積んでアタックしたKBT,OOK。
当時、何が彼らを駆り立てたのかはわからない。
しかし、その根底には必ずあいつらが存在しているだろう。
「寺沢ヤラレマニア」
乗ることを目標とせず、ただの根性試しの度胸試し。
いかにデカいやつを、ヤバい位置から「華麗に逝くか」がモットーとされていた。
さらに、「逝く瞬間」に笑顔ならさらに高得点。
SURFINGとシンクロが融合した、新スポーツだったのだ。
そのやられっぷりから「あいつら、ドMって噂だぜ」と囁かれたものだ。
当時の仲間で、旧隊員である、田代氏はこう語った。
「涙が止まらねえ。笑) あいつら、まぢでヤバいぜ。俺なんか、ドルフィンのしすぎで、髪の毛、全部いかれてもうたでな。おい、ばか、見るな!これはヘルメットじゃねえ!!」
骸骨に皮をへばりつかした彼はそう言ったあと、押し黙って西に沈む夕日を見た。
時は、西部開拓時代。
西の巨大都市「名古屋」や、東の都「浜松」からの侵略を阻止すべく立ち上がったのが、原住民族で酋長の「アダモス川上」さんだった。
アダモスさんは、周囲の村人を集め、「徹底抗戦し、オラが土地を守れ!」と指令を出した。
しかし、文明の武器と豊富な資源、押し寄せる大軍にわけもなく押し切られ、最後の抵抗むなしく彼らは海に逃げ込んだのだ。
そうして海で暮らすうち「おっ!?波に乗るのは面白いな」と考え始め、当時流行だった「フルちん」から「トランクス」なる、西洋のはきものを覚え、文明開化に至ったのである。
時代は1988年、テンちゃん30歳、GRは津久見高校野球部エース。
バルボッサはまだ、「愛大入学前」だ。
ぼくらがまだ、お隣の「高塚さん」と知り合う、ずーっと前の話。
寺沢に住む「奴等」はまだ「人半分、獣半分」だった。