ブルース・ヒー

昨日夕方、ひーくんに会った。

相変わらずの「胃腸弱」感で、今年もSNOWは頑張ったらしい。

C/Cのツアーにも参加したと。

「くま」と二人で「ど浮き」してきたと。


ひーくんと出合ったのは、まだ、おそらく御岳方面に侵略を開始した20年ほど前だろう。

当時の「ボクラ」は、相当の「クソ」だったから、若いひーくんからしたら、うざかったに違いない。

そのうち、今は懐かしいJ-SOUCEで開催した忘年会に、久美原担当として集ったのがひーくん達だった。

卑怯にも「タケダの顔」で笑いをつかんだ彼ら。

いっしょに行動し始めるのに、そんなに時間はかからなかった。


やがて、僕らは白馬方面に進出した。

そこで、完璧なキッカー群と出会い、「ぶっとびワンメイク」のかっこよさに魂をやられた。

この時点ではまだ、骨折は2だったとおもう。

その頃、ひーくんが殉職する。

右手手首粉砕骨折

コツ細胞を移植の後、プレートinというスポーツ医療を躍進させた彼の骨折は、今尚、後遺症になやむ。

もともとの優しい性格の彼は、あるときこういった。

「あのう、場所取りだったら、ぼくいきますよ」

そのひたむきな心意気に、オレは感動し、彼に試練を与えた。

「おう、AM6:00集合な。ブルーシートはおれんところからもってけよ。50人はくるで、4枚分はとっといてくれ!」

真に受けた彼は、そのまんま「広大な場所取り」を実行。オレはそのまま15:00まで彼を放置。

度々のTELで駆けつけた時には、彼の姿は無く、空き缶が6〜8本、するめが半分残されており、この作戦がいかに熾烈だったかが伺え、ゲラゲラに笑えた。

そこから四半世紀はひーくんの場所取り幹事長の独壇場であったが、2009年を最後に、彼はどこかに潜伏してしまい、ほとんどの「花見客」の記憶から消えようとしていた。

その「ひーくん」が更なる進化を遂げ、今回参戦するという情報が!

貴様らにも、その目で確かめて欲しい。

正露丸糖衣」を手放せず、満開サクラの週末向山をたった一人で116㎡を9時間、守り抜いた昭和の勇者を。

そして感じて欲しい、20年ほど前にはじめた「グダグダ花見」が今尚、存続しており、そこには多くの「珍獣」が生き延びている事を。




それと、独立した「かずにい」の心意気を。